2018年11月16日金曜日

大人の階段上る君

群馬にいる大学4年の娘が、いよいよ親を
蹴飛ばして一人立ちしようとしています。

何を言っても自分を通そうとします。
そんなお年頃なのでしょうし、私も娘の歳
くらいの時は、親の言うことを聞かずに
就職先や住まいを1人で決めていました。

自分は好き勝手やってきて、子どもには
言うことを聞きなさい、なんて言うのは
親のエゴなのでしょう。

転ばぬ先の杖的な話は、今の娘には響きません。
転んでばかりの私を見て育ったようなものだし、
娘から見て尊敬に値するような
言うことを聞きたくなるような
立派な親では無かったし。

昨日、就活のことでシビアにLINEでやりとりして
決裂した悔しさと淋しさから逃れる為、
いつもと違う1日を過ごしました。

そんな日に、久し振りに手に取った本の言葉に
再び励まされたので引用して紹介しますね。

↓引用ここから↓
あなたの子は、あなたの子ではありません。

自らを保つこと、それが生命の願望、
そこから生まれた息子や娘、
それがあなたの子なのです。

あなたを通ってやって来ますが、
あなたからではなく、
あなたと一緒にいますが、
それでいてあなたのものではないのです。

子供に愛を注ぐが良い。
でも考え方は別です。

子供には子供の考えがあるからです。

あなたの家にあなたの子供の体を
住まわせるがよい。
でもその魂は別です。
子供の魂は明日の家に住んでいて、
あなたは夢のなかにでも、
そこには立ち入れないのです。

子供のようになろうと努めるがよい。
でも、子供をあなたのようにしようと
してはいけません。

なぜなら、生命は後へは戻らず、
昨日と一緒に留まってもいません。

あなたは弓です。
その弓から、子は生きた矢となって
放たれて行きます。
射手は無窮の道程にある的を見ながら、
力強くあなたを引きしぼるのです。
かれの矢が速く遠くに飛んで行くために。

あの射手に引きしぼられるとは、
何と有難いことではありませんか。

なぜなら、射手が、
飛んで行く矢を愛しているなら、
留まっている弓をも愛しているのですから。


↑引用ここまで↑

カリール・ジブラン著  佐久間 彪  訳
『預言者』“子供について”より


引きしぼられた弓である私は、そりゃ
痛くてキツイわけですよ(笑)

見えない“射手”が私を強く引きしぼり、
私のからだを通してやって来た子、という矢を
遠くへ飛ばそうとしていることは
悲しむどころかめでたくも有難い事
なのだと思えばいいじゃないか。

娘が小4の時のピアノ発表会の
スナップ。ドレスまくり上げて
がに股で階段上ってるとこ(笑)